18 意識



第18回サイファイ・カフェSHEのお知らせ

ポスター

テーマ: 意識研究では何が問題になっているのか

日 時:2024年3月14日(木)18:00~20:30

会 場:恵比寿カルフール B会議室


https://www.ebisu-carrefour.com/


カフェの内容

2012年11月に開かれた第4回のサイファイカフェSHE(当時は「科学から人間を考える試み」と呼ばれていました)は、「脳と心、あるいは意識を考える」をテーマとして開催されました。しかし、この会では意識まで議論できませんでした。また、前回のSHEは拙著『免疫から哲学としての科学へ』の合評会としましたが、そこでは免疫に絡めて意識の問題が少しだけ話題に上りました。

このような背景を考え、意識の問題がどのように研究されているのか、そこにはどのような課題があるのか、というような点について、一人の免疫学者が外から観察したところを基にして問題提起したいと思います。そこには多くの問題があると思いますので、多様な視点から議論が展開することを期待しております。そうすることにより、我々の意識に対する認識が少しでも深まることになれば嬉しく思います。このテーマに興味をお持ちの方の積極的な参加をお待ちしております。

参加費: 一般 1,500円、学生 500円

     (コーヒー / 紅茶が付きます)

参加希望者は、she.yakura@gmail.com までお知らせいただければ幸いです。

よろしくお願いいたします。


会のまとめ






今回のSHEでは、意識の問題を取り上げた。その背景には、少なくとも2つの要因があった。1つは、案内にも書いたように、2012年11月29日と30日に「脳と心、あるいは意識を考える」と題した第4回サイファイカフェSHE(旧称「科学から人間を考える試み」)を開いたが、残念ながら意識の問題まで議論できなかったことである。2つ目は、昨年3月に刊行した拙著『免疫から哲学としての科学へ』において、免疫システムと神経系の関係がこれまで以上に近くなり、認知(=認識+情報統合+反応+記憶と定義した)を免疫の本質に認めたことで、意識の問題が近い存在になったことが挙げられる。いずれにせよ、この分野の専門家ではないので、あくまでも免疫学者がこの領域の研究を外から眺めて、まずは自分自身がどのようにこの問題を考えて行けばよいのかという枠組みのようなものを提示できないかと考えたのである。

まず、免疫の中に見られる神経様機能について紹介した。このような問題を分析するためには、ヒトやマウスだけを研究していては見えてこないことがあるので、系統樹を辿るように生物界全体を通時的に見渡すことにした。その結果、すべての生物には外敵を排除するメカニズムがあること、その機能的な最小の要素は、認識+情報統合+反応+記憶の4要素で、細菌からヒトに至るまでこれらの機能的要素が見られることが明らかになった。このメカニズムを免疫と呼び、認識+情報統合+反応+記憶の機能をまとめて、ここでは認知と呼ぶことにした。この定義によれば、今回問題にする意識(特に我々が常識的に使う意味における)が含む主観的で感情的な側面は含まれないように見える。議論の中で、免疫システムに意識があるという主張なのかという質問があったが、常識的な意味での意識はないと現段階では考えている、将来的にコンセンサスが得られた意識の定義が現れる時まで、議論しない方が得策ではないだろうか。

さて、意識という現象は長い間、哲学の領域に属する問題だとされてきた。自然科学を用いた分析が不可能だと考えられていたからである。この状況が変化したのは、今から35年ほど前の1990年のことである。DNAの構造を発見したフランシス・クリック(19162004)とその共同研究者クリストフ・コッホ(1956 )が、精神の問題を神経のレベルから解析する時が熟してきたとして、意識の神経生物学的アプローチを提唱して、この分野の第一歩を印した。具体的には、「ある特定の意識的知覚を共同して引き起こすのに十分で最小の神経メカニズム」として定義した意識に相関した脳活動(Neural correlates of consciousness: NCC)を明らかにすることであった (Crick F & Koch C. Towards a neurobiological theory of consciousness. Seminars in the Neurosciences 2: 263–275, 1990)。

この論文では、意識についての厳密な定義をしない、高度に進化した動物には意識があると想定するが、タコ、ハエなどの「下等」動物の意識については考えない、自省的意識、意志、志向性、クオリアなどについても除外するというような制限を付け、視覚などに限定した意識について検討することを勧めている。定義の問題は重要なのだが、このように対象が明確に規定できない時には、我々が日常的に、常識的に了解できるものとして、その姿が見えてくるまで待つというのが賢明な時もある。意識の問題を現代の神経心理学では、刺激の受け入れに準備が整った状態の覚醒(arousal)、刺激を受け入れ、気づいている状態のアウェアネス(awareness)、そのことを自分が認識している再帰的な状態の自己意識(self consciousness)の3段階に分けて考えているという発言があった。

1995年、哲学者のデイヴィッド・チャーマーズ(1966 )は現在の物理化学的方法で解析できる機能的意識の問題を「イージープロブレム」としたのに対し、主観的経験や現象的意識がどのように発生するのかというような問題は、現在の物理化学は解明できないとして、「ハードプロブレム」と命名した。(Chalmers D. Facing up to the problem of consciousness. Journal of Consciousness Studies 2: 200–219, 1995)。イージープロブレムとして、環境刺激を識別し、分類し、反応する能力; 認知システムによる情報の統合; 精神状態の報告可能性; 自身の内部状態にアクセスする能力; 注意の集中; 意図的な行動制御; 覚醒と睡眠の違いなどの例を挙げている。

一方のハードプロブレムについては、その存在が専門家の間でも問われており、ハードプロブレムなどないという人たちもいる。カフェ当日もこの問題の存在を疑う発言があった。これまで、この二分法を無批判に受け入れていたが、今回、ハードプロブレム否定派の根拠を検討する必要があると感じた。ハードプロブレムの存在が指摘された後、現在に至るまで30以上の理論が提唱されているという。以下に、有力だと考えられている理論について、最近の解説をもとに紹介したい (Lenharo M. Consciousness: The future of an embattled field. Nature 625: 438–440, 2024)。それは、以下の4理論である。

1.意識の高次理論(Higher-Order Theories (HOT) of Consciousness)
2.統合情報理論(Integrated Information Theory: IIT)
3.グローバル・ワークスペース理論(Global Workspace Theory: GWT)
4.リカレント・プロセス理論(Recurrent Processing Theory: RPT)


1.高次理論(HOT)




この理論は、外界の情報受容(低次の表象:脳の後部で起こる)が高次のレベル(前頭前皮質)で再び表象(メタ表象)されなければ、意識とはならないとする。








2.統合情報理論(IIT)




この理論は、脳の異なる部分における情報が統合されなければ意識は生ぜず、統合の程度が意識のレベル(得られる画像の解像度のようなものか)を決めると主張する。この場合、情報の統合が基準になるので、脳以外のシステム(例えば、AIなど)でも意識があるとされ得る。





3.グローバル・ワークスペース理論(GWT)



受容された情報が局所にある場合には意識されていないが、意識される場合には、少し遅れて神経発火が起こり、グローバル・ワークスペースと呼ばれる場所に拡散され、比喩的に言えば、スポットライトを浴びなければならないとする。その場は特定されていないが、前頭葉、頭頂葉が挙げられている。





4.リカレント・プロセス理論(RPT)



この理論は、意識は、情報を高次の脳領域(前部)から低次の領域(後部)に送るトップダウンのシグナル伝達と、その逆の流れであるボトムアップ・シグナリングに依存すると主張する。






わたしの日常的思考から生まれる意識された状態のイメージと各理論を比較してみたが、興味深いものがあった。勿論、これらの理論の正当性とは何の関係もない、わたしの妄想のようなものであることを断っておきたい。

1.高次理論: 個々の情報を手を加えずにその場に置いておくと意識されないことが多いが、それが思考によって秩序づけられたり、他のものと関連付けられたりすると、その情報が明確に意識できるようになる。メタの思考が重要になるというイメージと一致した。

2.情報統合理論: これも高次理論と似ているが、バラバラに存在する情報は何の意味も成さないが、それらがあるまとまりを作ってくると一つのことに対する立体的なイメージが湧き、それが増えれば増えるほど理解が深まってくるという経験と一致した。

3.グルーバル・ワークスペース理論: 最初の情報がより広い領域に拡散して、その情報を処理するのに最適の場所に到達しなければならないという感覚と重なった。

4.リカレント・プロセス理論: これに関しては一番イメージし難かったが、敢えて言えば、演繹(deduction)と帰納(induction)のイメージと重なった。

本題に戻ると、これらの理論のうち、どれが正解なのかが問題になるが、最近興味深い試みの結果が発表された。その試みとは敵対的共同研究(Adversarial collaboration)というやり方で、論争中の領域に関する知識を共同で発展させるために、対立する研究者が共同設計した実験を行い、その結果を発表する共同研究の一様式である。昨年、情報統合理論とグローバル・ワークスペース理論の間で行われた5年間の検討結果が発表された。それによると、どちらも決定的な勝利をおさめなかったという。今後、このようなやり方も含めて、いろいろな理論が淘汰されていくものと思われる。

最後に、同じ高次機能を担う免疫システムにおける大問題であった抗体の多様性(いかなる抗原に対しても反応できる能力)が生まれるメカニズム解明との比較を歴史的に試みてみた。免疫の場合、1900年にパウル・エールリヒ18541915)が側鎖説を唱え、この問題に対する口火を切った。この理論は、一つの細胞上に諸々の抗原に対する受容体が存在するというものだが、それは物理的に不可能であることが明らかになり捨て去られた。その後、15以上の理論が提出されたが、最終的に生き残ったのは1957年に発表されたマクファーレン・バーネット18991985)のクローン選択説であった。この説は、一種類の受容体を持った細胞が多数あり、抗原は対応する受容体を持つ細胞を選択すると主張する。発表から10年後、クローン選択説は免疫学のパラダイムとなった。

これに対して意識の問題は、免疫に遅れること約1世紀、1990年にチャーマーズによってハードプロブレムが指摘され、それ以降現在までに30以上の理論が提出されていると言われる。しかし2024年の段階で、まだ正解は得られていない。免疫の歴史を考えればまだまだ序盤戦で、今世紀後半には結論が出るのだろうか。この点に関して、免疫の場合には定義の問題がそれほど大きな位置を占めていなかったのに対し、意識の方はその種類も多く、まだ明確な問題設定もされていないので、時間はかかるかもしれないというコメントがあった。あるいは、そもそも解決はあるのかという疑問も付いて回る。今後も注視したいテーマとなった。



(まとめ: 2024年3月15日)



参加者からのコメント

◉ 本日は第18回サイファイカフェSHEに参加させていただき誠にありがとうございました。

よく整理されたプレゼンテーションと、それに続く活発な議論に触発されて、「意識」の問題を考える視野が大いにひろがりました。議論の中で登場した「意志」、「自由」、「主観と客観」、「生命」などが、哲学の世界でも重要な言葉であることに気付かされ、問題の深さをあらためて噛み締めています。ものごとをレイヤー(層)に分けて考えるクセのある私にとって、物理化学的な説明は下部構造の議論に見え、意識の本質はその上部構造(メタなレイヤー)にあるのではないか、とつい思ってしまいます。ちょうどカオス理論でいうエマージェンス(創発)のようなイメージです。カオス理論といえば、議論の際ご紹介した数理科学者の津田一郎氏(中京大学教授)が、意識生成の数学モデルを提示されています。モデルを視覚化した映像がNHKで放送され、YouTubeに掲載されていますので、よろしければご覧ください。



◉ サイファイカフェSHEのまとめをありがとうございました。拝読して、せっかく「敵対的共同研究」について紹介してくださっていたのに、初めて聞く言葉だったせいか、馬耳東風であったことに気づきました。これは、高校で習ったヘーゲルの弁証法がベースになっているのでしょうか。でも、科学研究での実践例は思い浮かびませんね。素人考えですが、仮説検証に限らず、仮説の構築にも役立つような気がしました。

かつて私は、画期的な仮説/新奇な発想は、天才/個人の、ひらめき/洞察から生まれる、と思っていました。しかし30代半ばに転職した広告会社のシンクタンクでは、新奇なアイデアを得るために、まずブレーン・ストーミングと呼ぶグループ・ディスカッションをすることが当たり前になっていました。ディスカッションのルールはひとつ、「対立する意見を批判してはいけない」です。議論の内容は後で構造化するのですが、その過程でアウフヘーベンが行われ、結果として個々のメンバーの思い付きより優れたアイデアが生まれます。これは、自然科学の新たな方法論として、集合知を得るのに威力を発揮するかもしれないと思う次第です。


◉ 先日のSHEではたいへんお世話になり、そしてとりまとめのご連絡をいただきましてありがとうございました。以下に私の感想を送らせていただきます。いつも貴重な時間を持たせていただいておりますことを感謝しています。

矢倉先生にご紹介いただいたハードプロブレムにおける有力な4つの理論(意識の高次理論、統合情報理論、グローバル・ワークスペース理論、リカレント・プロセス理論)と皆様との議論を通じて思ったことは、まだ脳の機能が明らになったというには程遠い状況であり、結局、脳の問題が解決しない限りは、意識とは何かという問題の解は得られないのだ思いました。

脳の機能が明らかになる日がくるのかどうかよく解りませんが、仮に明らかになりそうな状況がみえてきたときには、明らかにすることの是非が問われることになるのだと思います。人間の存在のありかたが変わることになるからです。すくなくとも我々が生きている間に脳の機能が明らかにされることはないと私は考えますが、そして未来のことは予測できませんが、そんなことは考えずあるがままでよいというお考えの方もおられ、大変に楽しくそして貴重な時間でした。ありがとうございました。


◉ 先日のカフェでの写真、スライド等ありがとうございました。この会についての感想を以下書いてみました。

意識の問題については、定義が難しく話が噛み合わないところがありますが、逆にそうであるからこそいろいろな意見を聞くことができるということがあります。そういう面では面白く拝聴するところがありました。

この間のお話は、意識についての理論の紹介があり、その面での最近の進歩ということがわかるお話であったと思います。その中で、矢倉先生のご専門のエーデルマン(1929-2014)の考えを発展させた研究も紹介されていて、それが面白く思いました。あくまでも私の理解ですが、エーデルマンは「科学は観察者の心と関係のない物理的対象や自然の力を問題にしている限りはその理論体系は矛盾なく成り立つ。だが観察者の心的過程は無視できない。意識体験は志向性を持っておりそれが重要である。」として、(1)脳をコンピュータになぞらえる(2)ニューロンそれぞれが明確に決まった役目がある、などの考えを否定し、以下はエーデルマンの著書を読んでいただくしかないのですが、神経ダーウィンニズムという、集団という考えや個体の淘汰という考えを主張しています。壮大な考え方ですが、一読に値すると思います。



 







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